私が「旅するパティシエ」になるまで。

私が「旅するパティシエ」になるまで。

旅するパティシエななころです。

この記事では、私が「旅するパティシエ」になるまでの経緯をまとめました。

 

私は、「有名店で●●年修行!」とか「コンクールで金賞!」とか、自慢できるような経歴もないし、ぶっとびすぎて、遠回りしすぎて、長くなりますが暇つぶしに読んでいただけると嬉しいです。

アメリカのお菓子をやりたかった。

日本では、お菓子、パティシエといったらフランスのイメージかと思います。

 

専門学校でもフランス菓子を中心に習いますし、「日本の洋菓子」といったら、フランス菓子を指すものがとても多いです。

専門学校の研修旅行もフランスでした。

 

けれど私はずっと、バタークリームやフォンダンでカラフルに彩られた、アメリカのお菓子が好きで憧れていました。

(そういうお菓子を作っているのはアメリカだけではないのですが、当時はそれがアメリカのお菓子だと思っていたため、そう記します。)

可愛い~!

今ではちょこちょこ日本でも見かけますし、韓国のセンイルケーキも流行って、見た目がカラフルでかわいいケーキが当たり前になってきましたが、当時はインスタもなく、ネットで海外の可愛いケーキの写真を検索しては集めていました。

 

「インスタ映え」という言葉もありませんでした。


当時日本でそんなケーキを作っているお店は見つけられず、製菓学校へ入学してからも、先生方や外部講師として来てくださる現役のシェフにそんなケーキを作っている人はおらず。知っている人も、教えてくれる人もいませんでした。

(そら、生徒に急に「アメリカのお菓子をやりたいんです!」と言われても、先生方もシェフたちも困ってしまいますよね、、。)

 

ななころ
ななころ

もちろん製菓の基礎、美味しい洋菓子は学びたいけど,,,。
私は個人的に好きなアメリカのお菓子、あのカラフルでアートなデコレーションも絶対学びたい!

 

私の作品は「派手すぎる」「食べ物の色じゃない」と言われていました。笑
誰の言うことも聞かずに全部自分の好きに作ってしまった飴細工。

 

10代だった私は、日本にないならいつか自分で海外へ行って勉強しようと思い、そのころはぼんやり、日本のケーキ屋さんで3年ほど修行してから、NYに留学かな〜?と考えていました。

とりあえず英語?よし留学。

決めたら何かしないと気が済まなくて、せっかちな私(今も)。将来英語が必須だなと、アルバイトで貯めたお金で製菓学校1年生の夏休みに、オーストラリアに超短期留学に行きました。

アメリカのお菓子を学びたいのにオーストラリアへ行った理由は、単に英語圏で一番費用が安いからでした。

 

はじめてのひとり飛行機、ひとり海外。当時はめちゃめちゃ怖かったな~!

英語は全然伸びませんでしたが、これが当時の精いっぱいの第一歩でした。

小麦アレルギーになる。

 

専門学校を卒業し、お菓子業界に飛び込んだものの、

一番初めの職場で小麦アレルギーになり半年で退職。

 

幸い、小麦製品を食べるのはまだ大丈夫ですが、皮膚がダメで、素手で小麦粉を触るとすぐに手がぼろぼろになってしまいます。(今も打ち粉とかは絶対しない)退職した当時は手がぐちゃぐちゃでお菓子なんて作れない状態でした。

体力的にも精神的にも厳しい洋菓子業界で、幸運にもとてもいい職場に巡り合えて、とても可愛がっていただいて上司やシェフの皆さんも全員素敵な方で大好きだったのに(本当にこんなのは奇跡)

 

何もできないまま退職してしまって、そこからは暗黒期でした。

暗黒期

退職してからは、全く違う職種のアルバイトを転々として、お菓子以外にやりたいことや向いていることは何か考えました。

 

アパレル、事務、工場、ティッシュ配りなど、、とにかく色んなバイトをしまくってみたよ~!

 

でもやっぱりどうにかお菓子に関わりたくて、洋菓子の販売員としてケーキ屋さんに就職しました。

 

それでも作りたいのに、、、というフラストレーションは消えず、やりたいことができないもどかしさや一緒に卒業した同級生に置いて行かれる焦りもあり、だいぶ迷走していました。

 

アイシングクッキーの活動。

水着アイシングクッキー

アメリカのお菓子をやりたい気持ちは消えていなかったこと、また学生時代から、お店で就職して作り学ぶお菓子と、自分がやりたいカラフルな、アートなお菓子は別物だと考えていたため、

 

仕事とは全く別で、自分がやりたいお菓子、自分の表現も守って育てていこうと決めていました。

 

専門学校を卒業してすぐに、働きながら休みの日に「Wilton cake class」というアメリカのケーキデコレーションを学べるクラスに通いました。

 

フォンダンケーキ
Wilton classで作ったケーキ。

アイシングクッキー」は、そのひとつとして、独学で作り続けました。カラフルで自由に飾れるアートなお菓子、というところが、私がやりたい「アメリカのお菓子」と通じていたからです。

 

専門学校を卒業してすぐ、「naacookie」という名前で、毎週作品を作ってインスタグラムにのせたり、教室を始めたりして、パティシエの仕事の傍らほそぼそと活動をつづけました。

 

当時は仕事が休みの日は自分の活動、と、お菓子漬けの生活で、あまり遊んだりしていなかったですね、、。

 

いまのわたしのお仕事の原点です。

退職して、バックパッカー!

洋菓子販売で就職したケーキ屋さんは1年で退職しました。

 

昔ながらの洋菓子の職場。めちゃくちゃ大変だったけど、厳しい環境で働く経験ができて本当に良かったと思っています。

 

作りたい気持ちが消えないこともあり、もやもや考えて迷走して辛い1年でしたが、1年間学べることは全力で精一杯学んで、100万円ためて、そのお金でNYに行こう、と決めて1年働きました。

そして退職して、100万円を持ってバックパックで旅に出ました。

 

メインの行き先はNYでしたが、どうせならついでに、と北海道の知床や東南アジアにも寄り道しながら3か月間バックパッカー旅をしました。

 

憧れのNY。

ずっと憧れていたニューヨーク。

はじめは慣れない海外が怖かったものの、滞在しているうちに慣れて、約3週間、毎日お菓子屋さんやカフェを巡りました。

 

私がずっと探していた、学びたかったお菓子。フランス菓子とはまた違って、日本にはなかなかなくて、誰にも理解してもらえなかったお菓子がそこにはありました。

 

毎日これこれ~!と感動して、天国かな?と思いました。

 

泊まっていた日本人宿での、個性豊かな、自由な人たちとの出会いもとても衝撃的で。日本にいたら絶対出会えなかったけれど、こんなに自由に人生を楽しんでいる人がいっぱいいるんだな、と感動したことを覚えています。

 

そこで出会った人たちとは家族みたいに仲良くなって、今でも連絡を取り合っています。

 

日本で悩んで悩んで暗黒期をすごしていたけど、NYに来て自分の世界が広がった、道が開けたような気がしました。

 

製菓道具専門店も!住みたいくらい。。

ただ、これは仕事とは別物私がやりたいお菓子であって、当時はこれを日本での仕事にできるとは思っていませんでした。

 

仕事」についてどうするかは決まっておらず、お菓子を作りたいけど、小麦アレルギーで迷惑をかけたくない、でもお菓子の他にやりたいことがない、、という状態でした。

コーヒー、アレンジドリンクに出会う。

当時、お付き合いしていた方がバリスタをしていたため、NYでのお土産に色んなカフェでコーヒー豆を買いまわりました。

コーヒーって産地でこんなに味も香りも違うんだな。チョコレートに似てるな~!?

というところから、コーヒーに興味を持ちました。

 

彼が出場するバリスタの大会(エスプレッソやカプチーノを淹れて技術を競う大会など)を見に行ったりして、

 

シグニチャードリンクミクソロジーカクテルなど、コーヒーと副材料でひとつのドリンクを作ったり、フルーツやハーブなどを合わせたアレンジドリンクと出会い、

 

これに今まで学んできた洋菓子を活かせるかも・・?と思いました。

 

ドリンクなら小麦を使わないから私にもできる。作りたい欲も満たせる!!

カフェで働きはじめる。

洋菓子の技術をドリンクに活かした、デザートドリンクをやりたい!

 

そう思い、帰国後カフェで働きはじめました。

ホールもコーヒーも接客も、ケーキ作りもするフルサービスのお店でした。オーナーも過去に小麦アレルギーでパティシエを退職されていて、粉を触るときは手袋をしながらなど徹底してくれたり理解してもらえとてもありがたかったです。

 

ラテアートも一生懸命練習してました、、!

まずはコーヒーの基礎から、カフェでの接客も覚えないといけないと、しばらく必死で仕事を覚え、慣れてきたら休みの日にUCCコーヒーアカデミーに通い始めました。

 

どうしてこうなるのか、何故それをするのか、という理論を学んで納得しながらコーヒーを淹れたかったのです。

 

コーヒーって本当に繊細で奥深いもので、働いているだけではわからないことがたくさんありました。アカデミーで科学的な理論を学んだことはとても役立ちました。

 

働いていたカフェで。

当時私は23歳。

 

学校を卒業してから遠回りしている焦りがあり、とにかくはやく技術、知識を身につけたい、はやく何者かになりたいと毎日必死で働き勉強していました。

フルサービスのお店だけでなく、たくさんの豆を取り扱うコーヒースタンドや商業施設内の店舗、様々な業態のお店で掛け持ちをして、2年ほどコーヒー漬けの生活になり、幅広く学びました。

 

また、このころから、仕事とは別にほそぼそ続けていたアイシングクッキーのお仕事もいただけるようになり、ほとんど休みなくずっと仕事をしていました。

商業施設でのイベント販売やワークショップ。

自分の中でひとくぎり。

コーヒーにどっぷり漬かって3年目、私もコーヒーの大会に出てみることにしました。

 

 

  • ジャパンバリスタチャンピオンシップ(JBC)
  • UCCコーヒーマスターズ
  • MONIN COFFEE CREATIVITY CUP

 

この3つのコーヒーの大会に出て、MONINのアレンジドリンクの大会では念願のデザートドリンクを作り、運よくファイナリストに残り東京で決勝大会に出られました。

フランス菓子「オペラ」をイメージしたドリンクを作りました。

 

残念ながら入賞はできませんでしたが、大会にでたことで自分の中でコーヒーに対して、ひとくぎりついてしまったような気がしました。

 

顔どうした

 

私はデザートドリンクを作るための手段として必死でコーヒーを勉強してきたけど、他の出場者さんのようにバリスタを極めたいわけじゃない。大会のプレゼンテーションで、バリスタですと名乗ることにもとても違和感を感じていました。

 

デザートドリンク作れたしお店でも出させてもらえたけど、これで食べていけるわけじゃないし、自分のお店を持ちたいとも思わない。じゃあ私は何をやりたくて、何のためにここにいるのかな?

 

アイシングクッキーのお仕事もどんどんいただけるようになってきて、とてもありがたい反面全然休みがとれず、二足の草鞋を履くのもしんどくなってきていました。

 

空白の1年。

それからカフェの仕事を辞めました。

 

多分本当に疲れていて、あまりそのときの記憶がありません。

 

自分のやりたいことのためにがむしゃらに働いてきましたが、飲食業界、自分の働き方にも限界を感じていました。

 

1年、飲食の仕事から離れ派遣会社に登録し、大きな会社の人事部で働いていました。

(この、普通にOLとして飲食とはかけ離れたお仕事をした経験も、今の私にとってなくてはならないとてもいい経験でした、、!)

 

そうしながら私は何がしたいのか、またじっくり考えた結果、アメリカのお菓子への思いが大きく、ずっとアイシングクッキーを続けていたこともあり、この機会にまた海外へいってみようと決意。

 

アメリカのビザはとるのが難しく、NYに近くて、ワーキングホリデーで比較的に簡単に就労ビザがとれるカナダへ行くことにしました。

カナダでパティシエ復活。

カナダでも、お菓子は私が求めていたものに近く、またパティシエのお仕事も日本とは全然違いました。

 

ユニコーンケーキ

何より、適材適所、分業の文化のがあるためか、パティシエではなく

ケーキのデコレーションだけをする「ケーキデコレーター」という職種があり、

 

小麦触れなくてもできるやん!!

と、自分もお菓子を作る仕事ができることに気が付き大感動!

 

また、今までは仕事とは別物だと思っていた「私がやりたいお菓子」が、そのまま仕事になる

 

ケーキデコレーターの仕事を探していましたが、結局まずはチョコレート屋さんで働き、

 

そのあとはなんと、普通のパティシエになれました。

 

バンフという自然がとっても綺麗なところの、リゾートホテルのパティシエです。ダメ元で応募してみたのですが、あっさり雇ってもらえました。

 

日本では、

小麦アレルギーだからパティシエにはもうなれない、迷惑をかけたくないし、仕事で「これはできません」「あれはできません」なんて絶対言えない。

 

と思ってパティシエに戻ることは完全にあきらめていましたが、カナダにはアレルギーの方が多くとても理解があり、

 

じゃあ粉は触らなかったらいいじゃん。」と、あっさり了承してくれ、本当に粉を触る以外の仕事を振り分けてくれました。

 

乳製品がダメなシェフもいました。

お菓子留学

本当にうれしくて、充実した1年間を過ごしました。また、バケーション文化もあり、みんな1~2週間海外旅行するのは普通。私もメキシコやNYに行ったりして、他の国のお菓子も学ぶことができました。

色んな国のお菓子。

カナダでの生活がとても自分に合っていて、何よりお菓子の仕事ができることが嬉しく、ビザが切れたらまた違う国で働こうと決めました。

 

また、多国籍な人々が集まる移民の国カナダで、色んな国籍の人たちと働き、今まで見たこともないようなお菓子にも出会うことができました。

 

クナーファというお菓子。中東のお菓子大好き!

もともとは「アメリカのお菓子」をやりたい!という気持ちでしたが、それ以外にも世界には本当に色んなお菓子がある。今まで旅をしてきた中でも、様々なお菓子に出会ってきました。

30歳まで、気軽にワーホリ制度で就労ビザがとれるうちは、もっと旅をしてもっといろんなお菓子を勉強したい!と思うようになりました。

帰国、コロナ、独立!

カナダから日本に帰国してすぐ、コロナが大流行。

すぐにニュージーランドにいく予定でしたが、すぐに国境が閉鎖されて、人生計画が狂い、独立することに。

 

独立までの経緯はこちら

今までは、私が個人的にやりたいことと仕事は別物だと、切り離して考えていたけれど、もうそれを仕事にしてしまおう。

 

やりたいお菓子、旅さえも仕事にできるんじゃないかな?と、いろんな紆余曲折がありましたが、そうして「旅するパティシエ」に落ち着きました。

 

教室やレシピの開発、WEB、お菓子の販売など探り探りやりたいことをとにかくやってみる精神で活動しています。

 

今が一番充実していて楽しいです!

そして現在、ロンドンへ。

2022年5月からはイギリスに拠点をうつし、海外にいてもできるフリーランスのお仕事は続けながら、ロンドンのアイシングクッキー屋さんでフルタイムで働いています。

また、ホリデー文化を利用してロンドンからいろんな国を旅してその地のお菓子を食べて、文化を学び、SNS、Youtubeで発信しています。

 

人と違ってもOK。

長くなりましたがこんな感じで、たくさん転んでたくさん挫折もしながらここまできました。

 

ぶっとんでるし、自慢できるような綺麗な経歴では全くないけれど、すべて必要な経験だったしわたしだけの人生をとっても気に入っています♪

 

今がいちばん幸せです。

 

20代前半のころは、人と比べて、私にはキラキラした誇れる経歴がない、、と自分が嫌になったりもしていましたが、今は自分を誇りに思っています。

 

日本の有名店での修業経験やコンクール受賞歴もないし、そもそも日本のケーキ屋さんで働けないけど、海外のケーキデコレーションの技法を知っているし、色んな国のお菓子を知っていて作ることができる。英語のレシピが読めるし、色んな国の材料の知識、引き出しがある。

 

遠回りしている中でコーヒーもできるようになったし、OLとしての社会人経験もある。パソコンも使えるようになった。

 

それは私の武器だし、自分では普通にやっていることが人の役に立つことだったり、仕事にもできたりする。いわゆる、パティシエとしての「普通の」経歴ではなくても、人と同じ道を歩まなくてもいいんだって思えるようになりました。

 

異色かもしれないけれど、そんなパティシエがいてもいいんじゃないかなと思っています。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました♪

 

コメント

  1. […] どうして「旅するパティシエ」になったのか? […]

  2. […] […]

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